2007年06月28日

イメージ力と、表現力と。

ブレーンが、お勉強の目指すもののひとつの形を示しているので、思うところを記してみたいと思います。また、Mr.Hot Cake先生の記事も拝読し、記しています。

中学受験で言うと、
「解法」といった形で「思考パターン」が伝授される。
それらを反復し、「問題の文法」という形で、問題を見た瞬間にその表現の中にかくれんぼしている「思考パターンの糸口」を見つけ、「パターン」を想起し、相手の求めている表現方法で答えを導いていく。その速度が速ければ早ければ早いほど、その導き方が正確であれば正確であるほど、複雑なものを解析できるほど、偏差値の高い学校へのチャレンジ権が得やすくなる。そして、そうした能力の高いお子さんであれば、その「思考パターン」の共通点を見つけ出して、見たことのない問題であってもねじ伏せるという技を身につける。

能力をお持ちでしっかりしたトレーナーがそばについていれば、そこまでの能力はつく。

しかし、そうした受験生生活を終えて中学に入学すると、
「解法」が「パターン」として示される機会は減る。
いわゆる東大塾と言われるような塾であっても、東大を出口の一つとして持つような学校であっても、授業風景はとても普通だ。ただ、イメージを持つための材料は早い段階で、軽く、明るく、大量に与えられる。その材料をうまく使いこなさなければいきなり成績が沈み込み、使いこなした級友たちが、数年後に「思考パターン」の糸口を示されてすいすいと受験の海を泳いでいくのを「あら?」という思いで見ることになる。そして、自分がもう一度同じ土俵に上ろうとしたとき、自分が裸であることを知る。

また、大学に入学すると、自分で何とかして知らなければならないイメージを持つための材料の量はさらに増える。そして、その材料は自分で探しに行かなければ増やすことができない。しかし、いざとなれば何とかなる。「パターン」を探しに行くことはできるから。そしてその探し方を誰かに教わりに行くこともできる。なぜならお金を払って学んでいる立場だから。コピーアンドペーストである程度の土台を作ることがまだ許されているから。もちろんすべてをコピーするようだと、糾弾される側に回るが。

そしてお金をもらう側になったときに、自分の持てるイメージの材料を自分のなかにある材料を使って表現し、さまざまな現状の中から「パターン」を見出して処理したり、いかなる「パターン」にも当てはまらないように思える状況の中でも、自分にできる一番よいと思われる方法で、できるだけ正確にねじ伏せていくことが、「思考」だと思うのだ(どうしてもねじ伏せられない場合は、自分が傷つかず、周りも傷つけないように逃げる、ということも含めて)。そしてその思考を、他の人へ伝えるために、必要なイメージの材料となる言語も、できるだけ他の人と共有しやすいもので、伝える手順も、伝わりやすさを目指すものであれば、どのような相手であっても力を与え合い、作用しあい、どのような状況であっても潜り抜けることができるように思うのだ。


つまり、「思考パターン」を与えられ、理解するためにはその前の段階の「語彙」が必要であり、その「語彙」をインプットし、アウトプットする訓練を積まなければたとえ「思考パターン」を与えられても理解ができない。ただ、その「思考パターン」ごと指導される時期は限られており、その時期以外は非常に地道な「王道」も「覇道」も「邪道」もない、こつこつとした学びの時期が続く。だからたとえ一時期「思考パターン」を与えられるだけのレベルまで学力がついたとしても、その「パターン」がすべてなのだと思った瞬間に「学ぶ力」の衰退が始まる。そして「思考」を自分の力だけで行うときに思考のために使える語彙の量が多く、その語彙を他者と共有し合えるだけのイメージ力と表現力があれば、現実を切り抜けられるだろうし、そのための頭の使い方を人は若いときに「学びの場」で身につけていくのだと思う。


そのために自分の中にあるイメージの材料である「語彙」を若い時期にこそ増やすべきであろうし、その語彙を運用できるかどうかをアウトプットし、確かめ続けることが「学びの場」でイメージ力と表現力をつけていくことであるように思う。その作業が、若い時期のお勉強のひとつの形なのではないかと思う。「思考パターン」はあくまでも仕上げの時期のうまみ調味料のようなもので、そこだけに頼るのは体にも、頭にも悪い。あくまでもイメージの材料を言葉を使って頭に入れ、言葉を使って表現すること。素材を多くし、その素材をどう結びつけるのかを知っていれば、自分の力でその素材を増やし料理する段階で、無限に「学び」を広げていかれると思うし、そのお手伝いをするのが自分の仕事だと考えている。



posted by 華岡依音 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

私の履歴書 保守政権の担い手

歴史は、もう習い終わっているけれど、昭和以降の政治の流れがあまりにも駆け足過ぎてよくわかっていない状態のお子さんが周りにいらっしゃる方にこの本をお勧めします。

その場に身をおいていた人にしか書けない、生々しい現代史です。
その方その方の書きっぷりが楽しめるのですが、なにせ分厚いですから、レジに行く前に挫折してしまわれるかもしれません。
よろしければ、福田赳夫の手による113ページからの文章をごらんいただいた上でご検討ください。
残したメモのノートの厚みがあれだけになる方の記録です。数多くの政治家の息遣いと、彼らに対峙した彼自身の静かなペンの音がページの向こうから聞こえてくるようです。

歴史の復習をするときに、このときこの人はこんなことを言ったんだよ、こんな思いだったんだよ、という言葉を付け加えると、総理大臣の前後関係がつながるだけでなく、なぜこのときこういう出来事が起こるのか、を理解できた上で覚えられると思います。




posted by 華岡依音 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んで、考えた。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

ワーキングプア 日本を蝕む病

金は天下の回り物、です。

天下は日に日に広がって、
グローバリゼーションの名の下に、
循環しているように見えます。

水が循環するように。


今、
わたしが価値があると思うものに、
わたしの労働によって得たお金を払う。
そのお金はどこへ行くのか?
そのお金はわたしの手元に循環して戻ってくるのか?

そのことを疑ってかからなければならない時代になりました。

わたしの手元を離れたお金は、
誰の手元に流れていくのか。
誰の手元にとどまるのか。
その渡された相手は、うまく循環するように
お金を使おうとしているのか?


今のままでは

わたしの手元を旅立ったお金のほとんどは
循環して手元に戻ることはないだろう。


そう、予感させる本です。



この状況を別の方向へ持っていくには、
豊かで幸せな、手にお金を握っている子どもに
この状況を知らせること。
これがはじめの一歩かな、と思います。

中3の教え子たちに読んでもらおうと思いました。
posted by 華岡依音 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んで、考えた。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月20日

能力についてくるのは、お金だけじゃない。

大抵のお勉強にはお金が必要です。

お金を出してお勉強をして、何になるの?
お金を出さないでお勉強ができれば、いいんじゃないの?


お勉強をした結果、本当に「学ぶ力」を身につけられれば
お勉強のために必要なお金はついてきます。
世の中には貸与の奨学金だけでなく給付の奨学金がたくさんあります。
能力のある人間には、お金が集まるのです。
お金をもらった上で、お勉強ができるのです。


(塾の中でもともとの能力によって受講料が減免されたり全免されたりすることは、チラシでもよく拝見します。)

だからそうしたものを活用すれば、「勉強をすること=お金を稼ぐこと」になると、教え子と話します。


そしてその経験は、学ぶ時期だけの得ではとどまらないと思います。

学んだ後、お金を稼ぐようになったとき
自分の使いたいものにいくらまでお金や時間を使えるか、という形で現れるように思います。
どんなにお金が目の前で動いていても
それが自分の使いたいものではないもののためだと
むなしさがついて回ります。
使いたいもののためだけにお金を使うことは
できませんが、
自分の使いたいもののためにお金や時間を使えないと、
金銭感覚がおかしくなります。


自分の能力によってお金を手に入れることができることを覚えると、
お金と時間の回し方がうまくなるように思うのです。

使う、でもそれ以上のものを手に入れる。




そしてその繰り返しによって、
「労働と等価となるものとしての時間」ではない、
違う質のお金と時間の使い方も身につけられるようになると思います。


そしてそれが「余裕」につながるのかな、と思うのです。
posted by 華岡依音 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

経営陣は、記憶力。

講師の定着率とともに、
組織の存在感を物語るのは、
上の人間の記憶力だと思います。

過去に一度問い合わせをして、
そのときにはお世話にはならなかった方が、
時間を置いて再度問い合わせをしたとき、
「お久しぶりです」という対応があれば
その後の展開が異なると思うのです。

もし最前線の人間だけがその親御さんのことを覚えている場合であれば
立場が変わることでその情報に気づかない場合がありますが

その組織のトップが一度でもかかわりを持った親御さんのことを
覚えていれば、そこからの展開が速いのです。

お名前で、わかる。
声のトーンを、覚えている。


そしてお子さんの今の情報を、すっと言い当てます。
問い合わせをなさったお子さんを含めたお子さんの状況を、
言い当てます。




わたしがお目にかかった力のある方は
みなそうした記憶力をお持ちです。


posted by 華岡依音 at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

耳も目も二つあるけれど。

何かを成し遂げることのできる人の周りには、
常に何かをし続けている人がいます。

何かをし続けている姿を見せ続けておいて、
何もしないでいることを強制するのはむしろ難しいといえるでしょう。

それが何であるかで
影響をどのように受けるかが決まりますが、
その続けるものが何であれ、
周りにいる人に影響を与えることは
仕方のないことでしょう。


そしてその続けるものが
法に触れるものでなければ
影響を与えないよりは与えたほうが
人を育てることがしやすくなると思います。

ことばをかえれば
何かを続ける姿を見ることなく
何かを続けるように強制されても
影響は受けないだろうということです。
それが度重なれば、
ああはなりたくないという気持ちが強くなることでしょう。


AがBに
何かをするように言って
Bが何もしないときのAの失望よりも
AがBに
何かをするように言っておいて
Aが何もしていないときのBの失望のほうが
大きいのです。

「言うだけ言ったら自分は何もしなくてもいいの?」




こちらが何かをしているのなら、
隠さないで見せたほうがいいでしょう。
口で説明するのではなく、目に映るように。


見せすぎるほど見せて、初めて相手は
こちらがしていることを認めるものです。

posted by 華岡依音 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月16日

知識の暗記は、入れる時間より、出す時間。

知識を頭に入れるのはメンドクサイ。
漢字の形を覚えるのも、単語のスペルを覚えるのも。

書くのか、見るのか、唱えるのか。

それは一番自分にあっているやり方でできているのなら
よいのであって、どのやり方がよいですよということはない。

ただし、自分のお好みの方法で効果が出ないのであれば
戦法は変えるべきであろう。

本当に効果が出る方法は、自分でそれと気づいていないことが多いから。

けれども、暗記をするときに「入れる」ことに夢中になって、
「出す」ことをしないと、痛い目にあう。


そして、だれかと一緒に勉強するときには最終的に出さなければならない方法よりも一段階苦しい方法で「出す」方がよいと思う。



漢字を覚えているかどうかなら、
字形を分割して説明させる。
熟語であればそれぞでれの字を使った別の熟語なり、同訓異字のない訓読みなりをあげて、その熟語を説明させる。

そしてそれがあいまいなものは、説明できるところまで書きながらアウトプットの仕方をマスターする。

鉛筆をあまり動かさないので楽なように見える。
けれど、漢字の中を口頭で説明しようとするのは「ただ入れて、書く」よりも実はこっそりメンドクサイ。
そして、効果は、高い。
posted by 華岡依音 at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月15日

講師の定着率で、わかるもの。

ここに、この先生あり、と言われていても、
その先生の指導を求めてたずねてみたら、
その先生はいなくなっていた。
そしてどこへ行ったのか追いかけることがままならない。

それは、その組織の経費の使い方のひとつの表れではないかと思う。

私的な教育現場だからこそ、
そして講師を看板としている現場だからこそ、
組織が講師に長く指導に当たれる場を提供できているかどうかは
その組織の実態を見る尺度になるのではないか。

ただ長く組織に属している人間を囲っている余裕は、組織が大きかろうが小さかろうがない。

一時期組織に属していてその後独立する、ということもあるだろう。けれどもそうした方であれば、どこへ行ったのかがわからない形で消えてしまうことはないだろうし、もといた組織と完全な敵対関係になることもないと思う。

posted by 華岡依音 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月14日

SDリピーター・CDリピーターを何が何でも使わせたい!

・・・と、思います。

そのためにも、リピーターを使う必要性を感じればよいのだと思います。

・・・というわけで、

宿題の答え合わせマシーンとして使うことを、
お勧めします。
プログレスはCHARTを見て、次々に単語を代入して答えを作っていく問題がたくさん出るのですが、CHARTを見て答えを出すものですから、どの単語を入れればいいのかが、特に英語を勉強し始めのお子さんはわかりにくいのです。でも宿題ですから答えを正しく書いておくことも大事でしょう。そこでリピーターの出番です。

リピーターには解答がすべて吹き込まれていますから、
自分が正しくCHARTの問題を解けているのかを確かめることが可能になります。きちんとディクテーションができていなかったとしても、どの単語を答えればよいのかはわかるでしょう。

答えを確かめることができる道具なのですから、
使えばラクができる。使い続ければ耳が鍛えられる。
耳が鍛えられれば、ほかのものを聞くこともできる。
聞くことができれば、聞くことが楽しくなります。
聞くことができるようになれば、口に出すこともできるようになります。


過去記事の中にも、リピーターについて触れているものがありますので、記事検索でごらんいただけましたら幸いです。
ラベル:プログレス
posted by 華岡依音 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【テスト対策】中1理科・身の回りの物質の携帯問題集です。

身のまわりの物質には特定の形や大きさを持つものである
[1]と物体そのものを作る材料である[2]とがある。




1.物体 2.物質 

                                    ]
金属の特徴は[3]があること、[4]を通し、
[5]を伝えやすいこと、細く伸びたり、薄く広がるなどの形の変化などの特徴がある。





3.金属光沢 4.電気 5.熱



以下の選択肢のうち金属は[6]です。
 金  アルミニウム  ポリエステル 木 銅 鉄 プラスチック




6.金 アルミニウム 銅 鉄

金属ではないものを[7]と呼ぶが、[7]なのに[4]を通す性質を持つものもある。たとえば[8]である。




7.非金属 8.レモンの果汁


物質どうしを比較するには[9]を使い、[10]や[11]を使って測定する。




9.質量 10.上皿天びん 11.電子天びん


また一定体積あたりの質量を[12]という。g/cm3(3は上に寄せて読んでください)のような形で示されるが[13]と読む。





12.密度  13.グラム毎立法センチメートル

[12]をあらわす公式は[14]を[15]で割る。
[12]を測定して出すときには、[16]で[15]を測り、
[17]で[14]を出してから、先ほどの式にあてはめればよい。




14.質量 15.体積 16.メスシリンダー 17.上皿天びん/電子天びん


白砂糖、デンプン、食塩、グラニュー糖の中で、熱するとこげ、やがて燃えるものは
[18]であるが、こうしたもののなかには[19]が含まれているため[20]と呼ばれる。[19]は空気中の[21]と結びつき、[22]を出す。
[19]の含まれていないものを[23]という。二酸化炭素は[19]が含まれているが、[23]である。




18.白砂糖 デンプン グラニュー糖 19.炭素 20.有機物 21.酸素 22.二酸化炭素 23.無機物 




posted by 華岡依音 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 携帯問題集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

係り結びと、仲良くなろう。(古作文のすすめ)

あの男の人が瓜をどっさり作っている。

これを古文にしてみます。

かの男、瓜をいみじう作りたり。

これを強調するか、たずねるかの文章を作るときに、係り結びが登場します。

文中のある語句を強調したければ
そのことばの直後に強調の意味を付け加える助詞をいれ、そこに対応させて文末を変えれば、それが係り結び。

主語を強調したければ「かの男」のあとに助詞を入れればいいので・・・

「かの男ぞ瓜をいみじく作りたる。」
「かの男なむ瓜をいみじく作りたる。」
「かの男こそ瓜をいみじく作りたれ。」
↑ ↑ ↑
「ぞ」「なむ」なら文末は連体形(ときとかこととかにつながる形)
「こそ」なら文末は已然形(どもにつながる形)

何を作っているのかを強調したければ「瓜」の後の「を」をかえればいいので・・・
「かの男、瓜ぞいみじく作りたる。」
「かの男、瓜なむいみじく作りたる。」
「かの男、瓜こそいみじく作りたれ。」
↑ ↑ ↑
「ぞ」「なむ」なら文末は連体形(ときとかこととかにつながる形)
「こそ」なら文末は已然形(どもにつながる形)

係り結びのもうひとつの表現として、疑問・反語があります。
助詞をどこに入れるかで、
「あの男の人が」作っているのか「瓜を」作っているのかのどちらをより強調してたずねたいかが文字面でわかります。

主語を強調してたずねたければ「かの男」のあとに助詞を入れればいいので・・・

「かの男か瓜をいみじく作りたる。」
「かの男や瓜をいみじく作りたる。」
↑ ↑ ↑
「か」「や」に対応する文末は連体形(ときとかこととかにつながる形)

何を作っているのかを強調してたずねたければ「瓜」の後の「を」をかえればいいので・・・
「かの男、瓜かいみじく作りたる。」
「かの男、瓜やいみじく作りたる。」
↑ ↑ ↑
「か」「や」に対応する文末は連体形(ときとかこととかにつながる形)

この調子で、何文か現代文に直しやすい古文で置き換えながら、係り結びに慣れていくとよいと思います。

例文

1ちごは、もちをくひけり。

2ももたろうは、鬼を倒しけり。

3かぐや姫は、月へかえりたり。


それぞれ連体形のときは最後の文字が「る」、已然形のときは「れ」にかわります。
posted by 華岡依音 at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 携帯問題集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月10日

CDリピーター・SDリピーターを上手に使うには。

リピーターを聞いて、反復する。
その宿題をクリアするのは、
英語をはじめたばかりのお子さんにはなかなか大きな壁だ。
自分の発音が正しいかどうかわからない。
そして正しくない発音をしてしまうと恥ずかしい。
12歳から13歳という非常に恥ずかしがる時代に、
耳の「聞く型」ができていない状態で発音させるのは
苦しいのではないだろうか?

その恥ずかしさを乗り越えなければならない、
といっても
自分がその外国語を発語する危機的状況に家庭ではなかなか置かれないので、その「乗り越えなければ・・・」という設定がなかなかむなしく響く気がする。
お子さんにとっては周りにいる大人は自分よりも英語をきちんと発音できるであろうから、自分がリピーターを相手にしているときに変な発音をしていると思われたりしたら、本当にどうしよう・・・と
いう思いがぐるぐるする。

面倒くさいという気持ちと、
その形の見えない宿題を学校で確かめる方法がないということが
あいまって
どんどんリピーターを机の隅へと追いやることになる。

それを防ぐには
まずたくさん聞かせることだと思う。
声に出す前に、たくさんたくさん聞くこと。
ただ聞くだけではつまらない。
聞いたら鉛筆を動かそう。

リピーターの上の埃を少なくできている先生は、
ディクテーションの宿題を多く出しています。
教科書のテキストの文章を聞いて、書き取る。
幸いにして「リピーター」はリピート機能が非常に充実していますから、何度でも何度でも繰り返して書き取れるまで、書く。

単語の練習をするときも、リピーターを使っていけば、
一人で見て書くときの寂しさは軽減されるでしょう。

見て書くときにはできていても、
聞いて書くと間違えることはとても多い。

your と you're はとてもよくある間違いです。

日本語と英語が文字情報としてつながっても
音声と文字がつながっていないのはコワイ。

音声を呪文のように手繰れても、
それを文字化できないのは、後になればなるほどタイヘン。

二年生内容、三年生内容の新しい文法項目をうまく拾えるようになっても、一年生内容のスペルミスがずっと後を引くということは
非常に多いのです。
そしてそこで苦しむお子さんは、リピーターが埃まみれになっていることが・・・まま、まま、ままあります。


旧版なら扉とボックス、21ならシーンとルック、まずはそこのディクテーションをお勧めします。

まずは主語と動詞が抜けてるもの。
冠詞と名詞が抜けているもの。

前置詞以降の抜けてるもの。
連語の抜けてるもの。

それくらいの虫食いから入って、
最後には前文をディクテーションする。

今からなら、ぜんぜん遅くはないですよ。
ラベル:プログレス
posted by 華岡依音 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月06日

学校見学で見えるもの。

学校の説明会の話を、以前書きましたが、
親御さんがメインの説明会にも、参ります。




パワーポイントで説明をなさいます。
プリントもパンフレットにセットされています。
映像で、在校生の皆さんのご様子も拝見できます。


何よりも
出席者の皆さまの顔を見ること、
先生方の顔を見ることが
大きな収穫です。



その学校の「ファン」である親御さんの比率。
「冷静」に、選択肢のひとつとしてその学校を見定めようとなさる親御さんの比率。
その学校への「リピーター」である親御さんの比率。
質疑応答の雰囲気、どんな親御さんのお子さんがその学校を受けに来ようとしているのか。

「ファン」だからこそ、熱心になる。
「冷静」だから、見えるものもある。
「リピーター」になると、わかることがある。

目線で、メモの取り方で、質問の発展の仕方で、
学校と親御さんとの駆け引きがなされます。



入る前にうっとりしてて、入った後でこんなはずじゃなかった、
と思うのはもったいない。

入る前に礼儀を守った上で両目を開けて、耳を澄まして、
冷静にその学校のよさを見つける。

自分に合わないところがあれば、そ〜っと選ぶことをやめる。
6年間という時間の中で、
時間とお金をかけながら、
ストレスまで感じるのは、
何のための受験なのでしょう?

苦労は買ってでもしろといいますが、
それはわざと苦労をする方向に自分を追い込みなさいという意味ではないと思うのです。

その場にいることに愛情と感謝を持てる場所になることは、
しっかり選んだ場所であれば確かなことだと思います。
だからこそ、しっかり見ましょう。聞きましょう。

その空間を共有しているかたがたの思いを感じましょう。

悪い感情で一体化するのでなく、
よりよい校風を作っていくために自分の感性に会う学校を
見極めていくことは、悪いことではないと思うのです。

学校で手に入るのは先生との関係だけではない。
お子さん同士の関係も、手に入るのですから。

ラベル:中学受験
posted by 華岡依音 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | みて、考えた。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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