2006年08月03日

うすらぼんやりした夏の時間。

今の生活や今の仕事から考えると嘘のような話なのだけれど、

わたしは子供時代、夏休みにびっくりするくらい勉強をしませんでした。



 ここでの子供時代の定義は小学校まで、とさせてください。

 中学生以降は部活動るんるんるんるんるんるんに命を懸けすぎていましたので

 何の参考にもなりません。したがって必要以上に

 時間的にも勉強量的にもつめることは

 わたしの指導ではしないのです。
 
 だからわたしの指導の「ゆるさ」に驚かれる方は多いのですが、

 演繹でできることまで帰納でする必要はないし、

 帰納でするべきことはむしろ机の前に座るようになるまでの

 時期に生活習慣の中でがっつり手(グー)身につけてほしいと思うのです。

 それができていれば、演繹はできるようになるし、

 要領のいい子供になることもできます。

 だからこそ、演繹をするための尺度となるものは何が何でも

 がっつり耳耳からいれ、口頭で再現できるところまで反復します。



さて、なにをしていたかというと、

朝10時までは勉強をしていました。

 それまでは外出禁止令があったのです、

 わたしの小学校は。

そして朝10時からは親戚の家でことりの世話をしたり、

祖母の手伝いをしたりしていました。

 祖母の話はこちらでもおいおいいたしますが、

 彼女はなんだか神のような方でしたので・・・

でも基本的に何もすることがないのです。

観光地ではあっても過疎地ですから、

遊ぶ材料がないのです。

テレビゲームは我が家には導入されていませんでしたから、

散歩をしながら川遊びをするか、

せみの観察をするために桜の木にのぼるか、

裏庭に敷いたござの上に座り込んで本を読むか、

緑の山々を眺めながら出窓に座り込んで

つらつらと越し方行く末を考えるか。

一人で、自分の中で言葉を使う時間が

ものすごく長かったように思います。

一人遊びばかりしていたわけではありませんが、

お友達の家に行ったりきたり、

毎日予定がぎっしり埋まっていたり、

そんなことはまるでなく、

緩やかに時間がたっていくのです。

そろばん教室とピアノ教室の日程が

トータルで週に3時間くらいでしょうか、

そろばんは時間が長かったので・・・

それくらいしか本当に予定がない。

そんな中で、

いろいろなものをリアルに観察し、

父から教わったカメラを片手に、

山や川を歩いては、

ファインダーを覗くこどもでした。


暇をもてあますこと。

自分で誰とも話さずに

リアルのものを見続けること。


お手伝い、勉強は当然のこととして、

自由時間が単なる休憩時間ではなく、

自分の意思決定による「自由に使える時間」が、

小学生までの私にはありました。


 


それがあったから、

後に激しく集中し続ける時期が来たときに、

がーっとやれたのかなあ、と思います。





今からは考えられないほどに、まっくろくろすけに

日焼けしていました。

やんちゃ小僧でした。


posted by 華岡依音 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(1) | つれづれなるままに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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四日で50マン(笑)
Excerpt: オタクのドウテイキャラのフリして入ったら、やりまくりのもうけまくり(笑)
Weblog: 林田
Tracked: 2007-06-04 06:34
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