2007年07月18日

宿題だって、買うんだよ。

どこかに通って、もしくは誰かがやってきて、勉強する時間は、その多寡はおいておくとして、お金を出して買っている。そしてその時間に付随するものとして、学習内容も買っている、ということもできる。勉強するその時間と空間を共有するためのお金はすでに支払われている、もしくは支払われることが約束されているから、その空間と時間はキミに与えられているんだ。その場をどう使いたいかは、キミがその空間と時間を共有する人と話し合って、納得の行く形にしていけばいいと思う。だから自分の学びたくないやり方を押し付けられる前に、納得の行く学びができるところを選ぶことができるのなら選べばいい。もう選んだ、選ばれた後なのなら、キミが相手と交渉できるだけの力を身につけるまでは、力をつけることに集中したほうがいい。力がない状況で、自分の主張を通すのは難しいからだ、何かが始まってしまった後では。
たくさんの人と時間と空間を共有して、そのなかで宿題を解ききれるヒトと、解ききれないヒトがいて、キミが後者に回ってしまったとしたら、宿題が多いからといって、それをむやみやたらにはしょってしまっていいのだろうか。その環境に身をおくために、その宿題を買っているのではないのだろうか。その日に誰かから出される宿題というものは、いたみやすい食材や、成長期の靴のようなもので、それを後生大事にとっておくことで新たなゴミを作り出すことにはならないだろうか?
もしキミが宿題を解ききれないのであれば、キミに宿題を出しているヒトと直接話をしよう。話ができないのなら、話ができるところまで力をつけるしかないだろう。もしキミの立場でどうしても話ができないのであれば、キミの周りの宿題を出しているヒトと同年輩のヒトと一緒に話をしてもらったほうがいいだろう。おそらくそのヒトが、キミのために財布の中からお金を出しているヒトだろうから。宿題を出しているヒトと、その宿題を買っているヒトとが話をして、納得のいく話ができたのであればそれに従えばいいし、納得のいかない結果が残ったのなら、こちらの力をつけるか、付き合いを断つか、だと思う。

いつかキミは宿題を誰からも強制されない側に回る。仕事でのノルマは課されるかもしれないけれど、それを宿題にするかどうかはキミ次第だ。
お金をもらって動くようになったときに、二人以上のヒトの取り決めたものをどう扱うようになるかの、ひとつの例だと思うんだ。
宿題のない環境は、もちろんあるよ。宿題をほしがらないヒトに売らない環境であったり、宿題を必要としない環境を作り上げたりしているよ。そうした環境を、売っているのだから。

宿題がある環境だって、ない環境だって、結局は、買うんだよ。買っているうちに買ったものをどう扱うのかを覚えよう。そして買うということを考えようよ。
posted by 華岡依音 at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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