2007年03月11日

【テスト対策】国語の語彙、どこが一番まとまってる?

新小学校6年生の受験生の皆さんで、大手の塾に通われている方は、漢字の知識から順々にテストで復習なさっていることかと思います。ですが大手のエリート塾であればあるほど、そのテストの出典となっている知識の蓄積されたテキストを渡されていません。以前渡していた塾でも、今のテキストを見ると圧倒的に知識の出典となるものがないのです。それはたいていの場合これからプリントで配られていくことになると思うので、絶対になくさないようにしないと、これからの模擬試験のたびに、知識で冷や汗をかくことになります。

本来知識問題のテスト範囲というものははっきりと示されてしかるべきです。けれども、国語に関して言えば、知識を、本の形にして配布しないことが多いので、入試に出る知識をまとめてあるテキストを本屋さんで買ってきて調べ、さらにそこにのっていないものもある場合にがっくりすることが多いのです。
その意味で一番テストを受ける人間のことを考えているのは、四谷大塚なのではないかと思います。ただし知識がテキストで分散しているので、数冊の予習シリーズを買わなければならないという難はありますが、そこに投資をすることをいとわなければ、
予習シリーズ+言葉の練習帳

で相当量の知識が手に入ります。
欲を言えば
四科のまとめでシリーズの知識を再録した上で四科のまとめの問題を作ると売れるのではないでしょうか?

せっかくあそこまで丁寧に改訂を入れたのですから、そうしたほうが売れるだろうに・・・と、思います。

だから国語の知識の弱い方は四谷大塚のテキストをどこかで何らかの形で立ち読みなさってみて、満足が行くようならご購入をご検討ください。ただし本当に知識項目がっつり示されているので、楽しく覚える、という要素はありません。あくまでもテスト範囲としてどこまで覚えればいいかを示されているものとお考えください。

よろしくお願い申し上げます。
posted by 華岡依音 at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

励ましません、勝つために。

受験勉強をする動機付け、受験勉強を続けようとする意識は
比較的短期間続けばいいものだ。
だから燃やそうとすれば燃やし続けたまま受験勉強を終えることが出来る。ただしそのあとにある「合格後の学校での勉強」の動機付けと「新たな受験勉強」への意識は、受験勉強をする際につけた心の火だけでは保ち続けることが出来ないように思う。

受験勉強をするときにそばに居る人間が子どもを励まし続けるのは、人のために行う行動なので、他の人間から見ていて美しく、励まし続ける人間にとっても満足のいく行動である。
でもそれは励まされる子どもにとってはどうだろう?
その励ます人間の心に同調し、興奮状態になった子どもの勉強がはかどるのは事実だ。同調している機会が増えれば増えるほど、やり取りする回数が増えれば増えるほど、興奮状態は長続きする。

しかし、その興奮状態を一生続けていくのは難しい。一つには励ます人間が永遠に子どものそばに居ることができないこと。一つには励まされる子どもは、自分のために何かをすることしかまだ学習していないから、励ます人間がしてきたような「誰かのために何かをすること」の意味を学習してから、励ます人間を「巣立って」いかなければならず、その際に興奮状態になっている人間関係を冷静な関係へとうまくスイッチさせるのが、非常に困難だということだ。それは、もともと冷静な関係をコントロールしてキープするよりもはるかにエネルギーを使う。

自分の道を切り開くための行動としての受験が終わった後、その手に入った道を歩いていくためには、
いつかは自分の学んだことを生かして何かをし、それを誰かに享受されることで労働が成立する

ということを学んでいく機会を与えられるべきだと思う。そうでなければ、子どもを励ますことで子どもをがんばらせてきた周りの人間のような生き方も出来ない。

わたしの知るよい先生(これは学校・塾・家庭教師を問わない)は、興奮している子どもをうまくしずめることが上手だ。一時的に同調することでしずめるのが早まるのなら、そうすることもあるのだが、学年が上がれば上がるほど、そんなに淡白にならずとも・・・と思うほど冷静だ。でもそれががんばらせることにつながらないのかというと反対で、そういう付き合い方を覚えた子どもは、静かに自分の心をぶつけ、融和させる方法を学習すし、その先生を喜ばせたい、もしくは悲しませたくないという気持ちを心の本当の片隅に持つようになる。
それは短期集中決戦の受験勉強をするときには相容れない考えだとお思いになる方もおいでかもしれない。しかし、いつかは教える人間と教わる人間は離れる。そして教わる人間が教える人間になっていくことで、その子ども(もうそのころには子どもではないのだけれど)の人生は回っていくのだ。いつまでも、だれのことも励ますことも出来ず、自分のために学び、自分のために働くだけでは、その「自分のため」が何なのか見えなくなった瞬間に何もかもが見えなくなる、そんな状態に、自分の教え子がなったとしたら・・・・
それは、わたしは避けておきたい。

そして、わたしは出来る限り励まさなくなった。
できるだけ子どもを平常心で勉強に向かわせること。
平常心を保てないときに平常心にもどる道筋をつけること。

そして自分が学んだことを生かして何かをすることで、まわりの誰かが得をし、自分も得をするような何かを見つけようと思う種を心の中にまいておくこと。そしてそのために心に水をかけること、心に鋤を入れること。雑草を焼き払うための野火は必要かもしれないけれど、その種が枯れるほどの興奮はさせないようにしたい。

そう思いながら、指導に当たっています。
ラベル:受験
posted by 華岡依音 at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

【家庭学習】子どもの勉強に付き合うということ。

先の記事で、子どもと時間を共有することについて書きました。
今回は、そのときにどう子どもと付き合うといいかについて書こうと思います。

子どもが問題を解いているとき、まず同じ条件で解けるかどうかが大切になります。
お子さんよりも早く親御さんが正答を出せるのであれば、その姿をお子さんに見せてあげてください。正答だけを見せるのではなく、どう筆算するかまでを含めて、答えを出してあげてください。目の前でその姿を見せることが、お子さんを引っ張ることにつながります。
お子さんのほうが早くもしくは正しく解答を出せるのであれば、お子さんに親御さんは教わればいいのです。親御さんに教えることが出来るところまでお子さんが理解を深めていれば、すばらしいことです。

お子さんも親御さんも正答を出せない場合は、それは何とかするしかありません。
一つには親御さんがあらかじめ時間を取って正答を出せるところまでトレーニングすること。
一つにはお子さんが正答を出せるところまでその解法を教わった方にトレーニングしてもらうこと。
その両方が出来ない場合は、その解法を知る人間の力を対価を払って得ること。
その三つのうちの一つでしょう。

子どもがある問題に全く食いつかない場合は、食いつくところまで問題を小さなステップに分けることが必要になります。たとえば全く新しい漢字を教えていくときに、今までに習ってきた漢字と組み合わせた語彙と上手につないでいくことが必要です。そうでなければ新しい漢字の世界がうまく広がりません。つまりは子どもが学んできた漢字のすべてを把握していることが、子どもの漢字の世界を広げていくイチバンの早道になります。その道筋を上手に示しているテキストがよいテキストですが、そのテキストに取り組ませていくときにうまく過去の知識とつなぐことが出来れば、目線が滑らなくなります。

子どもの解く姿を見るというのは、子どもの目線を見るということでもあります。どこをどう動き、どこに食い込み、どこをすべるのか。そして目線のとまった意味をふまえて、どのように目を動かせばよいのか、えんぴつを動かせばよいのか、口を開けばいいのかを判断させ、行動に移させる。
そこに目を配り続けること。
そしてそれを子どもに意識させることが必要なときにはさせること。そしてそれを子どもに意識させないことが必要なときにはさせないこと。そしてその意識が飛ぶほどに、子どもが集中力を高めていくこと。

その「待ち」の作業が、子どもの勉強に付き合うということになると、わたしは思っています。
ラベル:家庭学習 集中力
posted by 華岡依音 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月07日

【テスト勉強】一夜漬けするなら。(近代国文学史・散文を例にとって)

テスト範囲が発表されてからすぐにテストがある場合、
これは学校のテストでも塾のテストでも何のテストでもそうだと思うのですが、

一夜漬けにならざるを得ない


場合があります。

そうしたときに、頭から覚えていくのは危険。
まず全体を捉えます。

写実主義→擬古典主義〜浪漫主義→自然主義

→反自然主義として白樺派・新思潮派・耽美派、

そこから達観したところに夏目漱石・森鴎外がいて、

→そのあとプロレタリア文学があって

→反プロレタリア文学として新感覚派〜新興芸術派があると。


基本的にリアリズムとキレイキレイの振り子になるので、

リアル→キレイキレイ→リアル

→キレイキレイ

→リアル

→キレイキレイ


になると。

まずこの関係を順に口頭で言えるようにします。

それからそれぞれに属する人を覚えます。

写実主義、につぼ(二葉亭四迷・坪内逍遥)

擬古典主義、こうろ(尾崎紅葉・幸田露伴)

浪漫主義、国の北には富の泉(国木田独歩・北村透谷・徳富蘆花・泉鏡花)

自然主義、しまった、とくだ(島崎藤村・田山花袋・徳田秋声)

白樺派、むしゃむしゃしありしあり(武者小路実篤・志賀直哉・有島武郎)

新思潮派、あくたがわ(芥川龍之介)

耽美派、ながいたに(永井荷風・谷崎潤一郎)

プロレタリア文学、とくなこうば(徳永直・小林多喜二・葉山嘉樹)

新感覚派、よこのかわばた(横光利一・川端康成)

新興芸術派、かじいぶせ、ほり(梶井基次郎・井伏鱒二・堀辰雄)


もちろんそれぞれの文学者の漢字練習もします。読みを書いて、漢字を書いて、練習して、確認テストします。
その練習のときに、それぞれの文学者についての豆知識を話していくと、漢字練習のときに飽きません。

それから作品と作者をつなげます。

そこまでしてから、寝ます。

そして朝、頭の中で流れをつぶやきながら歯をみがき、着替え、トイレに入り、漢字の確認を電車の中でしたり教室で友達と確認しあえば、結構頭に入っていると思います。

ご笑覧くださいませ。
ラベル:テスト
posted by 華岡依音 at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【教科書・塾教材】新学期が始まるまでに買っておきたい方へ。

新学年の準備をなさっている方で
教科書や塾教材を準備していきたいと思われる方も
おいでだと思います。
私もよくたずねられます。

首都圏の方であれば
第一教科書がイチバン行きやすいと思います。
第一教科書のHPはこちら
また、地図はこちらです。

HPにも書かれていますが、

平日9:00〜17:00(土、日、祝日は休業)
(但し3、4、5月は土曜日15:00迄営業しています)


ですのでご注意ください。
小売専門のお店ではありませんし、年度末年度初めは学校への配本作業でごった返していますので、お店の方に尋ねる前にお店の中にあるリストをご自身で確認していただけましたら幸いです。特に教科書番号はご自宅でメモにされることをおススメします。

ちなみに新小学問題集・新中学問題集はあつかいはありませんのでご注意ください。

また、プログレス関係のあつかいもありませんのでご注意ください。


プログレスを扱っているのは
小川書店です。
小川書店のHPはこちら
また、地図はこちらです。

こちらのお店も大書店ではありません。HPで必要な本をご確認なさって、ご注文なさって、足をお運びください。

新小学問題集と新中学問題集はお通いの塾を通して購入できる場合もあります。

早めに準備しておけば、いざというときに問題集がなくて困る、ということも防げます。
ラベル:教材
posted by 華岡依音 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

【家庭学習】くつろぎの場であっても、くつろぐだけじゃ生きられないから。

大人は外で戦ってくる。
子どもは家の中で戦わなければ、力が伸ばせない。

だから

子どもも家の外で戦ってくる体制を整える


というのも一つの手です。
長時間、責任を持って目を届かせてくれる塾に通わせることで
家をくつろぎの場とすることは不可能ではありませんし、
それをむしろ売りにしている塾もあります。

ですがそこまで長時間拘束されると
そこでの時間とその時間に対する対価とが
比例関係になるところが多く、
そこまでは通わせられない
という状況もあると思います。

そこで一つのやり方として、
お子さんが戦う時間と親御さんが戦う時間を合わせる
ということは出来ると思います。

親御さんは家の中の仕事をするときに
お子さんも仕事をし
お子さんが家庭学習をするときは
親御さんも学習する


というやり方でも

親御さんが家の中の仕事をするときに
お子さんが家庭学習をする


というやり方でもよいと思います。

親御さんがくつろぐ時間を出来るだけ多くとるには
お子さんと時間を合わせるのがよいと思うのです。

労働から子どもを守るために学びというものは始まったのに
子どもの学びが
子どもにとっての労働のようになり
子どもをいつかは労働する人間になるという意識から
乖離させるものになっています。

ですから大人が家庭の中で労働する姿を見せ、
その労働に参加するという経験も必要だと思うのです。

時間の使い方の、一つのヒントです。
ラベル:家庭学習
posted by 華岡依音 at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【家庭学習】人の力を借りることと、対価と、宿題と。

わたしは、車の運転が今のところ出来ません。ですから公共の交通機関を使って移動しています。もし車の運転が出来たならば、もっと小回りの利く家庭教師になれているかもしれません。現にバイクで移動することで非常に移動時間を短縮なさっている先生もおいでですし、家庭教師の先生の待っているところに、教え子たちが授業を受けに行くというスタイル(ピアノの先生のご自宅に、子どもたちが順々に通ってくるというスタイルに非常に似ています)を採っている先生もおいでです。しかしわたしは、重いかばんを持って、電車に乗り、地下鉄に乗り、バスに乗り、歩いて、お子さんのご自宅に伺います。公共の交通機関に対する対価を払うことで、移動の保障される都市空間だから可能な話なのですが。

さて、わたしが車の運転をすることを迫られた場合、わたしは出来るだけ早く免許を取ることの出来る方法を選ぼうとすると思います。本当に一気に。そうなると、授業のコマ数をつめてとることが可能であること、できるかぎり同じ先生に教習してもらうことを可能にすること。そして教習に通う場所が仕事へ移動しやすいということ。こうした条件をかんがみて、その条件が満たされるところであれば、がつんとお金を払い込むところからはじめます。そうすることで、自分に覚悟を与えるのです。

どんなことにおいても、わたしより確実に技術を持った人は世の中にたくさんおいでです。もちろんその技術の提供を求めるには、対価を必要としますが、その技術を手に入れることで、自分の新たな可能性が引き出されるとするならば、対価を払ってでも、その技術を手に入れようとするでしょう。その対価が、自分の手に入れたい技術と、その技術を手に入れる手っ取り早さとの掛け算に見合わなければ、その対価を払う必要などないし、もっと自分の納得のいく対価を払うべき対象を探せばよいだけの話なのです。それがもし只で、もしくは只に限りなく近い形で手に入るとすれば、そのための労力と時間がその対価分だけかかっていたということだと思うのです。

家庭教師は、勉強を教えるために家庭に伺うのですが、それと同時に、自分が居ないときにいかに勉強を子どもにさせていくのかについてその姿を体現していくために存在しているのだと考えています。
ここで宿題を例にとってみます。わたしは、宿題のペース配分を子どもと一緒に決めていきます。本人の行動時間にあわせ、他のスケジュールを参照し、子どもの見たいテレビ番組の時間帯の情報も共有しながらペースを決めます。それは子どもの自主性を重んじないのではなく、自主性を重んじたいからこそ、まず自分がどういう時間帯で生活しているのかを意識させていくのです。わたしが学校なり塾なりのフォローを担当する場合は、まずそこで与えられた、消化不良になっていたものをすべて消化することに全力を注ぎたいと思うので、宿題は出しません。もちろん、消化不良になっていた宿題自体を消化するための消化剤としてのスモールステップが必要な場合は、そのための課題は出しますが、それ以上のものは出しません。それは、わたしが子どもを信頼していないわけでも子どもの力を馬鹿にしているわけでもありません。宿題というものは学んだことを基にして、確実に出来るだろうと予測が立つものを出し、一人でも出来た、という実感と、頭の中に定着していく知識とを確認するためのものであると考えているのです。
その予測が立たない宿題を出すということは、その宿題の調理も任せるということだと思います。つまりは、解答を自分で写しても、解答を誰かに写してもらっても、もしくは宿題に全く手をつけなくても、それが子どもの判断であり、その判断をどうするかを宿題を出す人間はまかせたと考えます。ですからどういう調理をしてきたとしても、それは宿題を出した側の想定の範囲内ということになりますから、現状ををまずは受け入れます。
子どもにその宿題が解けるだろうと予測が立っているのにもかかわらず、解答を写したり、写してもらったり、宿題に手をつけなかったりする場合は、まずはわたしの子どもの実力への思い込みがなかったかと確認をして、そのうえで子どもと、わたしと、宿題との間の信頼関係についての話をじっくり、じっくり、次の課題に取り組む手を止めることなく、していくことになるでしょう。
もしかすると、わたしではないだれかと一緒に勉強していったほうがいいということになるかもしれないので、その可能性も考えながら取り組んでいくことになると思います。

現代の家庭は、子どもにとって非常に勉強しづらい環境になっていると思います。家庭は大人になってはくつろぎの場、けれども子どもにとっては仕事の場でなければならないというギャップ。このギャップを埋めるための一つのツールとして、家庭教師は存在していると思いますし、さまざまなご家庭の実情にあわせて、お子さんの今いる場所を、勉強の場として機能させていくこと。
まずそこには、さまざまな工夫が必要ですが、そうした工夫は、親御さんがお子さんだった頃には考えられない工夫だと思うのです。ですから、その工夫の提供者、体現者として、存在していたいと思うのです。
ラベル:家庭学習 宿題
posted by 華岡依音 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月04日

【家庭学習】くつろぎの場である家庭で、どうやって勉強を始めよう?

現在の家庭の役割は、大人にとってはほぼ仕事をする場ではなくなっているように思います。仕事とする場とくつろぐ場が家のうちと外で分けられているように思うのです。
持ち帰り仕事をなさる親御さんの姿をお子さんが見ていれば、その背中を見て勉強をするということもありますが、そうした姿をお見せになる親御さんの割合が、わたしがこの仕事をはじめたときに比べると減ってきたように思います。
勉強をするようにいわれる子供以外のすべての人間がくつろいでいる環境の中で子どもは勉強をしないといってしかられ、試験の成績が悪いといっておこられる。その繰り返しでは、お子さんが勉強を家でどんどんしなくなるのはしようがないように思います。だからこそ拘束時間の長い家庭外の勉強の場・・・塾の自習室であり、拘束時間を長く設定した試験前の補習をする塾のニーズが上がるのでしょう。

24時間営業の自習室もある現代社会ですから、そうした家庭外の勉強の場を常に利用し、自宅を完全にくつろぎの場にしてしまう・・・・それも年齢が上がって、経済的なものが許せば可能な話です。しかし、低年齢のお子さんにそうすることをわたしはおススメしません。

最終的に自分の力で何かを何とかしなければならない環境に置かれた場合、そのための環境が整わなければその行動を起こせない、というよりはどういう環境であっても最低限の整備をすることで何とかする方向に切り替えていくことが出来るようになったほうが、自分の力でより何とかできるものが増えてくるように思います。

家庭教師の利点は、なんと言っても家庭生活の中で勉強を見せていただくので、家庭生活の中でより勉強をしやすい環境をつくっていくことが出来るということです。どんなに家庭以外のところでインプットがなされたとしても、家庭で全く勉強をしないことが前提になっていれば、こっそり学力を伸ばすことはむずかしいでしょう。

だからまず家庭の中で子どものいるところが学習の場になることを、わたしの仕事の始めの一歩だと考えています。

初めの一歩のヒントはこちらに

↓   ↓   ↓
必勝!中学受験攻略本
3月22日発売です。お手にとっていただけましたら幸いです。

ラベル:家庭教師 受験
posted by 華岡依音 at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月28日

出版が決まりました。

こちらでははじめまして。

華岡依音と申します。
このたび、本を出します。

楽天ブックスさんがイチバン詳しく本の紹介をしてくださっています。ありがとうございます。

セブンアンドワイさんでご予約いただければ、お近くのセブンイレブンでお受け取りいただけます。

JBOOKSさんでのご予約もできます。

アマゾンさんからも近日ご注文いただけるようになります。

よろしくお願い申し上げます。
posted by 華岡依音 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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